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横浜から世界に向けて、日本文化を発信し続ける「かをり」の手作り洋菓子
かをり商事株式会社[横浜支部]
日本のホテル発祥の地に建つ「かをり」
1859年の開港以来、同時に外国交易の窓口となった横浜。その横浜を代表する洋菓子の一つ「レーズンサンド」で、全国的にその名が知られるフランス料理&洋菓子の「かをり」。その本店は、1860年にオランダ人船長のフフナーゲル氏が日本初の近代ホテル「ヨコハマ・ホテル」を開業した地(旧外国人居留地70番)で、ホテル・洋食・洋菓子をはじめとする、さまざまな西洋文化の発祥の地といわれる「山下町70番地」にある。蔦の絡まる滽酒な建物は港町・横浜の異国情緒が漂う。
「宝石ゼリー(ヴィーナスの誕生)」。ゆず、ピーチ、ブルーキュラソー、オレンジ、ペパーミント、アップル、紫いも、グレープの味わいが楽しめる。
「現在は山下町70番地に本店を構えていますが、実は「かをり」の誕生した場所は、ここから少し離れた横浜橋でした」と話すのは「かをり」を運営する、かをり商事株式会社社長の板倉敬子氏である。
横浜橋は、戦前からにぎわっていた商店街で、終戦後には商店街有志によってマーケットが開かれ、食料品などの生活必需品が販売されていた。その横浜橋で「かをり」は戦後間もない1947年、板倉氏の母である板倉タケさんによって喫茶店として創業した。当時はまだ珍しかったサッカリンではない砂糖を入れた本物のコーヒーを提供することで人気を集める一方、治安の悪さには、とても悩まされたともいう。
「店に泊まり込んで働いていた母は、夜更けにピストルで撃ち合う音が幾度も聞こえて、非常に怖かったそうです」
その後、横浜・伊勢佐木町に移転し、同時に喫茶店からフレンチレストランへと業態を変えたのである。日本郵船の豪華客船「龍田丸」の司厨房長であった祖父の板倉作次郎氏の呼び掛けに高名シェフが多数集まり、横浜屈指のレストランの地位を築いていった。当時、日本人向けにアレンジされた本格的なフランス料理に衝撃を受けるお客様も多く、板倉さんも「子ども心に、いつも大盛況だったという記憶が残っています」と懐かしむ。
そして、70年に現在の山下町70番地へと再度移転し、個室、宴会場を備えたフレンチレストランをオープンする。
本店1Fのティーラウンジ。レストラン(2F~4F)は現在、休業中。
かをり商事株式会社社長の板倉敬子氏
今では観光地でありビジネス街として賑わっているが、当時の山下町は横浜スタジアムも神奈川県民ホールもなく、店の向かいにある中消防署以外には、桜がその姿を誇るばかりだった。
「レーズンサンド」。板倉氏が自らプロデュースし、試行錯誤の末に製品化した「かをり」のベストセラー。
「桜ゼリー」。ゼリーの中には八重桜の花びらが入っており、桜の香りが口中にほのかに広がる。
本店1Fのケーキショップに並ぶ洋菓子の数々。
「何もない場所に店がポツンとある状態。レストランなのに近くの県庁の方から牛乳の宅配を頼まれるばかりでした」
小学校から高校まで横浜雙葉学園に学び、聖心女子大学を卒業されたという典型的なお嬢様育ちながら、母から事業を引きついだ板倉氏。そうした逆境の中、「かをり」の味を多くの人々に味わっていただこうと、当時ではまだ珍しい「ケータリング」を始めるなど、徐々にその名を広めていった。
洋菓子の出発点はトリュフのチョコレート
現在、各種洋菓子の販売を事業の中心とする「かをり」だが、洋菓子販売のきっかけは、1975年、神奈川県知事になったばかりの長洲一二氏が店を訪れたことだった。
「知事にサービスでトリュフのチョコレートをお出ししたら、おいしいと召し上がられたので、いくつかお土産にお包みしました。すると知事の奥さまから30箱もの注文をいただいたのです」
板倉氏は、急いでトリュフ用の箱と説明書をつくり、何とか届けたそうだが、この出来事がきっかけとなり、店頭販売をスタートさせる。本格的なトリュフはすぐに評判となったが、職人気質のベーカー(パンや菓子専門の職人)は、量産にもレシピの公開にも応じてくれなかった。
「仕方がないので、自分で研究したのです。材料、味や見た目、そして香りにもこだわりました。それが現在も販売しているトリュフの原型となりました」と、当時を振り返る。
看板商品の「レーズンサンド」も同じ時期、デパート進出を考えた際、新商品の開発を求められたことで誕生したものだった。しかも板倉氏が自らプロデュースし、開発した商品である。クッキーの生地にこだわり、研究に約1年をかけて試行錯誤を繰り返した結果、油っぽさや甘さを押さえつつ、ふんわりとした独特の食感を生み出した。
また、「かをり」の屋号は、日本の魂を詠んだ江戸時代の国学者、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」という和歌が由来である。その思いは、さまざまな商品の開発にも反映されている。
例えば、屋号「かをり」の由来となる桜をイメージ、日本人がこよなく愛する桜をイメージして創った、「桜ゼリー」は海外へのお土産としても喜ばれている。国内での国際会議においても各国の要人たちへの贈り物として重宝されるなど、国という枠を超えて愛されている。
そのほかにも光り輝く宝石をモチーフにした「宝石ゼリー(ヴィーナスの誕生)」は、8種類の異なった味わいが特徴で、こちらも人気商品の一つとなっている。
素材にこだわった本物の味わいを持つ「かをり」の手作り洋菓子の数々について、板倉氏は「世界の方々にぜひ召し上がっていただきたい」と話すように、洋菓子への情熱は今もやむことはない。そこには「これからも世界へ向けて、日本の心や食文化を発信し続けたい」という夢と思いが溢れている。
かをり商事株式会社
〒231-0023
神奈川県横浜市中区山下町70番地
TEL: 045-681-4401
代表者: 板倉敬子
設立: 1969年
事業内容: 幕末に日本初の西洋式ホテルが建てられた居留地70番(山下町70番地)の地に、個室・宴会場を備えたフレンチレストランをオープン。トリュフ・レーズンサンドをはじめとしたオリジナル洋菓子を山下町本店の他、各有名デパート・高級ホテルなど20数店舗にて販売。