2018年06月17日 読売新聞朝刊 全国紙
日本初のホテル「横浜ホテル(ヨコハマ・ホテル)」
2018年6月17日(日曜日)の読売新聞朝刊に横浜ホテルの歴史が大きく報道されました。
現在かをりが建っている山下町70番地は幕末の頃から居留地70番(居留地七十番)と呼ばれ、1859年開港の翌年の1860年2月にオランダ人船長フフナーゲル氏により日本初のホテル「横浜ホテル」が開業しました。
かをり山下町本店は「ホテル発祥の地」なのです。
ぜひご笑覧ください。
かをり商事株式会社
代表取締役社長 板倉敬子
横浜ホテル(横浜市中区)
異国情緒あふれる建物が残る横浜市中区山下町で、ひときわ歴史が漂うフレンチレストラン「かをり」。ツタが絡まる建物の敷地には、「ホテル発祥の地」の銘板が立つ。横浜が開港した翌年に日本で初めて開業した「横浜ホテル」。貿易でにぎわった港町で外国人を受け入れ、外国文化の窓口でもあった。
レジェンドかながわ
日本初のホテル 異国の風
1860年3月10日号の上海の英字新聞「ノース・チャイナ・ヘラルド」。横浜開港資料館の調査研究員だった斎藤多喜夫さん(70)は今から30年以上前、一つの記事にくぎ付けになった。オランダの船長2人が殺害された事件。記事は、2人が「横浜ホテル」に滞在中の友人を訪ねた後に被害に遭ったと報じていた。
それまで、日本で最初に開業したホテルについては諸説があった。開港した横浜の様々な事柄を追っていた斎藤さんはホテルのことも調べ続け、書物や資料をあさっていた。そして見つけた新聞には、横浜ホテルの開業広告もあった。「日本で開業した最も古いホテルだ」。そう確信した。<YOKUHAMA HOTEL-KANAGAWA>。横浜は当時、外国人から「ヨクハマ」と呼ばれていた。
開港後の外国人の住宅などを描いた「御開港横浜大絵図二編 外国人住宅図」。中央のブロックの右端に、横浜ホテルの呼び名「ナツシヨウ住家」と書かれている(県立歴史博物館所蔵)
レストラン「かをり」の前に立つ「ホテル発祥の地」の銘板(横浜市中区で)
開港翌年に開業■跡地にレストラン
1859年7月に開港した横浜は、すぐに生糸貿易でにぎわった。多くの商船が乗り入れ、生糸を求めるアメリカ人やイギリス人で港町は活気を帯びた。
しかし、宿泊施設はなく、外国人は停泊中の船内で寝るか、知人宅に泊まるしかなかった。
横浜ホテルがオープンしたのは、開港から約半年後の60年2月。オランダ船籍の帆船「ナッソウ号」の元船長フフナーゲルが開業した。建物は木造。日本人の大工が建てた。西洋風のバーや食堂、コーヒールームを設け、公使オールコックやシーボルト、画家のハイネら歴史的な人物も宿泊した。
横浜開港資料館の西川武臣館長は、「開業したばかりの時代、ホテルの需要はかなり高かったはず。外国文化の受け入れ窓口として果たした役割も大きい」と解説する。
ホテルの切り盛りを巡って、斎藤さんはその通称に注目する。「日本人は当時、ホテルのことを船の名から『ナツシヨウ住家』と呼んでいました」。船は大勢の船員らが長期にわたり海上で生活し、ホテルと同じような機能を備える。斎藤さんは「船長のフフナーゲルとともに多くの船員が上陸し、ホテルの運営に従事したのではないか」と推測する。
63年にはいったん閉鎖され、理容室などを整備して64年に新装オープンした。しかし、66年に大火で焼失。この頃には他のホテルが建ち始め、再建されることなく姿を消した。
跡地でレストラン「かをり」がオープンしたのは100年以上たった1970年のこと。終戦後の47年、焼け野原だった横浜橋(横浜市南区)近くで喫茶店を開業した「かをり」が、偶然にも跡地で新店舗を開店した。板倉敬子社長は「当時は県民ホールも横浜スタジアムもなく、3年くらいは人通りもなくて店は閑古鳥が鳴いていた」と振り返る。
「昔、ここには何があったのだろうか」。ある時、板倉社長は興味を抱き、調べてみると、横浜ホテルが立っていたことを知った。2004年3月、「ホテル発祥の地」の銘板を置いた。
板倉社長はしみじみと語る。
「歴史のある土地で商売をすることに誇りと責任を感じる。伝統を大事にして、次の世代に残していきたい」
(荒木香苗)
港に根づくホテル文化
開港で発展した横浜では、横浜ホテルに続いて多くのホテルが建てられた。しかし、1923年の関東大震災で華やいだホテル街は一変した。1870年に開業し、一流ホテルとして名をはせた「グランド・ホテル」も打撃を受けた。
山下公園(横浜市中区山下町)近くに現在立つ「ホテルニューグランド」は1927年、復興のシンボルとして名前を引き継ぐ形で開業した。横浜市長だった有吉忠一が、横浜を国際都市として内外にアピールしようと「ホテル建設計画」をつくり、市を挙げて建設した。
内外の著名人が利用し、作家・大佛次郎は31年から約10年間にわたって滞在し、横浜を舞台にした「白い姉」などを執筆した。第2次世界大戦後に連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが宿泊した部屋は、今も「マッカーサーズスイート」として親しまれ、当時使用した机もそのままだ。
来年は開港から160周年。ホテルニューグランドは、開業当時から伝わる料理を昔ながらの調理法で提供している。浜田賢治社長(63)は、「横浜をこれから活性化させるためには、開港の地としてホテル文化の歴史を伝えることも大事」と話している。
一流ホテルとして名をはせた「グランド・ホテル」(横浜開港資料館所蔵)
ホテルニューグランドの「マッカーサーズスイート」で当時の机を紹介する浜田社長