伝えたい この味・フランス洋菓子 横浜かをり

伝えたい この味・フランス洋菓子 横浜かをり

このページでは、2018年06月01日「味覚春秋」6月号 No.543(味覚春秋モンド刊)に掲載された特集記事をご紹介します。

弊社代表取締役 板倉敬子のインタビュー記事

伝えたい この味
フランス洋菓子
横浜 かをり

※当記事の掲載に際しては、株式会社味覚春秋モンド様のご承諾をいただいております。

レーズンサンド
ブランデーに漬け込んで仕上げたレーズンと、口溶けのまろやかなクリームをサンドしたレーズンサンドは「かをり」を代表するお菓子。バターの風味とサクサクした歯応えは、子供から大人まで多くの人が愛する横浜銘菓です。

フランス洋菓子「かをり」のある横浜・山下町70番地は「洋食文化発祥の地」。昭和二十二年創業の「レストランかをり」は図らずとも、昭和四十五年にこの地に移転。閑散とした通りに再び華やかな洋食文化が花開き、横浜の名店として歴史を刻んできました。近年はレストラン事業から洋菓子へと大きく比重を移しましたが、そのきっかけを作ったのが現社長の板倉敬子さん。家業には全く興味がなかったという板倉社長ですが、インスピレーションから試行錯誤を重ね、「トリュフ」「レーズンサンド」「桜ゼリー」「いちょうチョコレート」など、長く愛される銘菓を誕生させたのです。

レーズンサンドは「かをり」の一番人気のお菓子とお聞きしました。

板倉社長 今では横浜のお客様だけでなく、全国からこのレーズンサンドを求めていらっしゃる方々も増えました。皆様に繰り返し召し上がっていただけることは何より嬉しいですし、私もこんなに長続きするとは思いませんでした。

お酒が強過ぎず、ブランデーのほのかな風味とレーズンが、このビスケット生地とよく合っていますね。

板倉社長 シンプルなお菓子ですが、皆様に喜んでいただけるお菓子だと思います。お菓子を専門的に学んだことはありませんが、そんな私が一年かけて完成させたレーズンサンドは、「かをり」の名前を皆様に知っていただけるようになった最初のお菓子で、特別な思い入れがあります。

「かをり」の歴史はいつから?

板倉社長 もともと「かをり」の創業は、母が昭和二十二年(1947)に始めた喫茶店が最初です。その後、昭和二十八年(1953)に、横浜の伊勢佐木町5丁目に本格的なフランス料理レストランを開業しました。当時の横浜は、ホテル等は接取されレストランなどあまりない時代でしたから、祖父の人脈で日本郵船の外国航路のコックさんなど腕の良い料理人が集まり、横浜では有名な店になりました。そして昭和三十年(1955)に、今度は伊勢佐木町2丁目に、アクリル樹脂を多用したガラス張りのような外観、当時は珍しかった冷暖房完備や、螺旋階段を用いたビルをオープンしました。和洋折衷のモダンな雰囲気はとても華やかで、どちらのお店もとても流行っていました。

その後も、順風満帆でしたか。

板倉社長 現在の場所に「レストランかをり」がオープンしたのは昭和四十五年(1970)、母がアメリカに視察に行き、庭を活用した郊外型レストランを開きた

いちょうチョコレートが生まれるきっかけとなった日本大通りの銀杏並木。銀杏は「神奈川県の木」でもあり、春の青葉はペパーミント味、秋の黄葉はオレンジビター味で表現したいちょうチョコレート

右:ほんのりとした桜色に八重桜のはちみつ漬けをあしらった桜ゼリー、一枚ずつ花を開き、しゃりっとした歯触りと桜の香りが残る。喫茶でも食べることができる(単品¥400/紅茶・コーヒーセット¥800)

左:8色の色のゼリーは、日本の那智の滝にかかった虹からインスピレーションを得て生まれたお菓子

いと思ったのがきっかけです。でも当時この辺りは何もなく、ビルがポツンと建っている感じで「こんな場所でビジネスとしてやっていけるのかしら」と正直私は思っていました。

板倉社長はお店を手伝っていらしたのですか?

板倉社長 私は主婦として子育てに専念していましたし、ビジネスには全く興味はありませんでした。学生の頃、レストラン手伝ったりしたことはありましたが、お客様の前に出ることは恥ずかしかったですし、どちらかと言うとおとなしい性格でした。

転機になったのは?

板倉社長 サラリーマンだった主人が勤めていた会社を辞めて、本格的にこの店の経営に関わっていたのですが、3年たっても閑古鳥が鳴いていて、両親や夫の苦労をずっと見てきた私は、「これはどうにかしなければならない」と自然に飛び込んでいった気がします。

まず最初に手掛けられたことは?

板倉社長 ここに来るお客様を待っているだけでは駄目だ、と思い、当時まだ珍しかったケータリングを始めました。私の母校でもある聖心女子大学に頼んだり、近隣の学校にも行きました。ある時、大手新聞社が「これからはケータリングの時代が来る」と大きく取り上げてくれて、それがきっかけでお店の従業員たちもやる気を出してくれました。

上:店名の“かをり”は、和歌を愛した板倉社長の父・富治氏が、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」の歌から名付けたという

左:昭和な雰囲気を感じさせるレトロな雰囲気の喫茶店内

洋菓子が有名になったきっかけは?

板倉社長 昭和五十年(1975)に、当時の神奈川県長洲知事がよく来店されましたが、デザートに出す「トリュフ」チョコレートを大変気に入ってくださり、それをきっかけに私が作ったトリュフを土産品として販売するようになりました。その時に、お菓子があれば、プレゼントや贈答で遠方の皆様にも召し上がっていただける、と確信したように思います。

そしてレーズンサンドを考案されたのですね。

板倉社長 トリュフがきっかけで、大手百貨店に出店のお誘いを受けたのです。でもそれは、当時人気のあった他社のレーズンサンドを超える商品を作ってください、という条件付きでした。レーズンサンドはビスケットを作るのに大変苦労しました。ちょうどお店の前に雪印の支店ができ、東京の研究所を紹介してもらい、そこに通っ

かをりを愛する著名人のサイン(故大島渚・小山明子ご夫妻や、作家の北方謙三氏)が入口を入った右側に飾られている

て沢山のことを教えてもらいました。しっとりとしたクリーム、ブランデーがほのかに香るレーズン、サクサクのビスケット生地、納得のいく商品が出来上がったときは、とてつもなく嬉しかったです。当時からレシピは一切変わっていません。

次々にヒット商品が生まれましたね。

板倉社長 平成三年には桜ゼリーを発売しました。八重桜を中央にあしらった淡い桜色で、ほのかな桜の香りがするゼリーですが、日本の国花でもあるこの桜ゼリーは、日本人だけでなく外国の方にも大変人気があります。また、神奈川県の木は「イチョウ」ですが、日本大通りのイチョウ並木も有名ですから、これをモチーフにしたいと思い、「いちょうチョコレート」を作りました。いちょうは末広がりですから、お祝いや贈り物にもいいと思います。

商品開発のひらめきはどこから?

板倉社長 ある時、ふっとひらめきます。「かをり」のお菓子のほとんどは、このひらめきから創りました。また、商品のネーミングはとても大切だと思っています。イースターの頃、ダックワーズが玉子の形に似ていたので「幸運のたまご」と名付けたらとても人気が出ました。

板倉社長が今一番強く思うことは。

板倉社長 平成六年(1994)だったと思いますが、この場所にはかつて何があったのだろうと思い、県立栄養短大の草間俊郎教授に調べてもらいました。ここは幕末に、オランダ船の元船長フフナーゲル氏が『横浜ホテル』というホテルを作った場所だったそうです。海外の著名文化人も宿泊したというこのホテルは、洋食文化発祥の地と言われています。この「洋食文化発祥の地」で、商売をすることができるのは大変な誇りであり責任を感じます。

今後も益々ご活躍ください。

板倉社長 商売に興味のなかった私が、とにかくお店を守らなければと思い、無我夢中に我を忘れてまっしぐらに働いてきました。その間に、いつのまにか商売が好きになっていたのです。猪突猛進でしたので、苦労とも思いませんでした。年中無休でよく働いたと思いますが、まだ休んでいる暇はありません。また、何か新しいお菓子を作りたい、そう思っています。「かをり」のお菓子を皆様に喜んでいただけましたら、何より幸せなことだと思っております。

生れも育ちも横浜という板倉敬子さんは、今でも、常に何か新しいものを作りたいと思っているバイタリティー溢れる女性社長

Cart
Your cart is currently empty.
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。